第3回 対米戦準備
さて、前回では蘭印戦争に勝利した日本が、カリブ海に浮かぶ(ベネズエラ・バレンシアの沖合約200キロ)旧蘭領クラサオ島の獲得に成功しました。
これは米国にとっては、キューバ危機と同様に喉もとに刃をつきつけられたような状態ですから、日本に対して何がしかの圧力をかけてくることが予想されます。しかし、クラサオ領有は日蘭間での問題であるからして、外野(米国=ルーズベルト)にあれこれ指図される筋合いのものではありませんよね。米国の出方によっては、名目上の領有権をはオランダに返還することはありですが、軍事基地は整備します。
すでに日米間の貿易協定はすべて破棄されており、石油禁輸のイベントは発生していないものの、実質的に米国からの資源の輸入は全面的にストップしています。まあ、それを見越して蘭印の資源地帯を奪取したのですから、別にどうということはありません。
1936年4月13日。
大陸は大荒れ模様です。
1936年4月22日:川崎重工が「機械化農業」を開発。
1936年4月27日:第21歩兵軍団がクラサオで上陸を完了。
クラサオへの第一陣です。その他の部隊は、日本の委任統治領であるマーシャル諸島のクワジャリンに集結中。
1936年5月2日:三井重工が「基本型工作機械」を開発。
1936年6月1日:愛知航空機が「基本型輸送機」を開発。
1936年6月8日。
クラサオにおける基地の建設が完了しました。陸海空軍の主力を移動させます。
1936年6月20日:スウェーデンで“夏政府”が発生。
Hoi2DataWikiより
「1936年、スウェーデン農民中道党「ボンダーフォーブンデット」が夏の間、単独でスウェーデンを統治することになった。これは農民中道党が強力に支援した社会民主党からの政治的見返りであり、今後も協力関係を継続すれば、政治的に優位に立てることを約束するものでもあった」
1936年7月4日:仁科芳雄が「原爆開発研究所」を開発。
1936年7月18日。
Hoi2DataWikiより
「1936年初頭、社会党が選挙で勝利をおさめると、大衆は社会的平等を求め始め、それが宗教界、大地主、王党派を敵とする革命的な運動に発展する。群衆は教会を襲い、農場を共通化しだしたのだ。労働組合はストライキを決行し、無政府主義者は“人民の敵”を暗殺した。社会党を首班とする新政府に社会秩序を回復する力はなかった。そうした中、スペイン軍部は社会主義革命を鎮圧して秩序を回復しようと、保守派やカトリック教会と手を結び、自らを“国粋派”と称して蜂起した。軍部の反乱に直面した政府は“共和国派”を名乗り、革命勢力と統一戦線を結成して反乱軍に対抗する姿勢を打ち出す。かくしてスペイン内戦が勃発したのである! ドイツ、イタリア、ソ連などの数多くの国がこの内戦に武力介入した」
1936年7月21日。
1936年7月22日。
ホセ・サンフルホ将軍は、治安警備隊司令官で国粋派の重鎮です。フランコ将軍のライバルで、首班に予定されるほどの実力者でしたが、どうやら飛行機事故(?)で死亡した模様です。
1936年7月23日。
1936年7月24日。
1936年7月25日:中島飛行機が「ロケット試験研究施設」を開発。
1936年7月25日。
1936年7月25日:イタリアはスペイン内戦 ― 介入において“装備と義勇兵を送る”を選択したとのことです。
スペイン内戦に対する主要各国の対応、ほぼ史実どおりです。
欧州の動きを横目で見ながら、次回はいよいよ対米戦に突入します。
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