第6回 対米戦終結
1937年1月30日、開戦から6ヶ月後の戦況。
1937年2月7日:我が軍がトゥーソンで敵軍と交戦。
1937年2月8日:我が軍がトゥーソンにおいてアメリカ合衆国軍を破った。
1937年2月13日。
1937年2月26日、ドイツから防共協定の提案。
むろん、ちょび髭の元伍長さんは乗り気ですが…
ドゥーチェ(頭領=ムッソリーニ)は…
当然、わが国も拒絶。コケにされたヒトラー総統、さぞやご立腹でしょう。
再三再四にわたるルーズベルトからの和平提案。
今回も辞退(却下)します。
1937年2月30日、開戦から7ヶ月後の戦況。
1937年3月27日:帝国陸軍第18軍団がジュノーで上陸を完了。
1937年3月27日:帝国陸軍第1軍団がジュノーで上陸を完了。
アラスカに上陸。一路、アンカレッジを目指します。
1937年3月30日、開戦から8ヶ月後の戦況。
1937年4月21日、太平洋で米海軍の残存部隊を捕捉。
さらに、1937年4月28日…
1937年4月30日、開戦から9ヶ月後の戦況。
1937年5月3日。
北に向かって遁走する米艦隊を追って、はるばるアリューシャンまでやってきました。
1937年5月13日:我が軍の艦隊がアリューシャン海溝北東部で敵艦隊と交戦。
史実において日本軍が屠った最大の米空母「レキシントン」は、珊瑚海ではなくアリューシャンで没しました。
米国海軍、アリューシャンに消滅す
1937年5月30日、開戦から10ヶ月後の戦況。
1937年6月2日。
1937年6月3日。
1937年6月9日。
1937年6月9日:我々は盧溝橋事件において “戦争をする余裕はない” と選択した。
「いつか見ておれよ」ということで、ここは隠忍自重します。その結果…
1937年6月15日。
1937年6月21日。
1937年6月30日:第3騎兵軍団がアンカレッジに到着。
1936年8月1日の開戦から11ヶ月を経て…
アメリカ合衆国は、アメリカ(南部)連合国、西部のカリフォルニア共和国、そして北東部の日本領北アメリカに三分割されました。
一応アラスカも領有しましたが、いずれカナダかどこかに割譲したいと思います。
ちなみに、ルーズベルトは疎開先のプエルトリコから脱出を図りましたが、飛行場に到着する直前に独立派のスペイン系住民によって捕えられ、その際の負傷がもとで、翌1938年4月12日に日本占領下のワシントンD.C.の病院で死亡したことにします。人種差別主義者にふさわしい最期です。
| 固定リンク
「真・大日本国正史」カテゴリの記事
- 第10回 豪州併合(2011.11.07)
- 第9回 アジア解放戦争開始(2011.02.26)
- 第8回 大戦勃発前夜(2011.02.19)
- 第7回 国民党躍進(2011.02.12)
- 第6回 対米戦終結(2011.02.05)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント