さて、日中戦争終結を受けての戦後処理です。重慶で講和会議が開催されたことにしましょう。
中華民国(=国民党)は日本の軍門に降りましたが、その周辺では中国共産党をはじめとして地方軍閥が割拠しています。半独立状態ですね。まあ、史実と似たような状態ですが、それよりも国民党政府の権力基盤は弱いと見るベきでしょう。
そうなると、蒋介石にしてみれば、日本の力を背景に自らの立場を強化するという選択しかないでしょうから、かなり厳しい条件でも呑まざるを得ませんよね。
ということで、日本側の提示した条件
(1)中華民国の属国化
(2)中華民国軍の統帥権の委譲
(3)上海の割譲
ただ、少しは蒋介石の顔も立ててやらねばならないので、
(1)満州は、国際的に承認されていない実情をふまえ、中国が形式的な宗主権を持つ自治領とする
(2)1946年10月1日をめどに中華民国の完全独立を承認する(それまで中華民国が存在していれば)
…といった取決めがなされたことにします。毛沢東なんぞは「欺瞞だ!」とわめき散らしたことでしょう。

さらに、「真・大東亜戦争」にならって日本は秘密提案を持ちかけます。
(1)香港を武力で奪回する意志があるのなら、日本海軍が支援してもよい。
(2)共産党を撃滅し、モンゴルの共産主義政権を叩く意志があるのなら、軍事顧問の派遣、重砲や爆撃機の供与、二個師団程度の増援、どの条件でも受け入れる。
(3)欧米が大陸各地に有している権益を国民党政府に返還するなら、日本も満州に有している権益を返還してもよい。
蒋介石以下の国民党首脳にとっては相当に刺激的な提案ですが、さすがに食いついてはこなかったことにしましょう。
さて、大陸に展開している日本軍ですが、対軍閥抗争が近いうちに再燃することはあるまいと、あえて楽観的な見通しのもとに兵力の大半を引き揚げることにします。西北三馬軍閥領にほど近い天水(ティエンシュイ)に駐屯している部隊を除いて。
10月18日:中国(国民党)は日本, 満州 と インドネシアの側に立ってシーベイサンマに宣戦を布告。
属国化により、中華民国は日本と軍事同盟を締結したので、必然的にそうなります。昨日の友は今日の敵です。
11月4日。

Hoi2DataWikiより
「この選挙の一番の争点となったのは、政府の景気回復政策だった。ランドン候補は選挙戦序盤においてニューディール政策の目的を認める立場を取り、攻撃の的を大統領の政治手法に絞った。資本主義経済の原理を無視した大統領のニューディール政策は、自由な企業活動を阻害し、それが政府の非効率な税金の無駄遣いとなって、景気回復を妨げていると有権者に訴え続けた。ランドンがルーズヴェルトのニューディール政策が憲法を無視していると糾弾し、この選挙はアメリカの民主主義制度を守る戦いだと主張するのは、最後の遊説に出てからである。結局、藪から棒にニューディール政策そのものを攻撃したことで、ランドンの主張が不明確になり、逆に有権者の信頼を損ねる結果となった。ルーズヴェルトが取った選挙戦術は対立候補の批判に反論せず、フーヴァー政権下での経済恐慌からアメリカを救ったのは自分であると有権者に訴えた。得票数は次のとおり。ルーズヴェルト(一般投票数:27,751,597票/選挙人投票数:523票)、ランドン(一般投票数:16,679,583票/選挙人投票数:8票)」
ごくまれに、アルフ・M・ランドン(共和党。対独強硬派)やウィリアム・F・レムケ(ユニオン党。ニューディール政策反対派)が選挙に勝利することがあります。敗れたルーズベルトの仏頂面を想像するのも愉快だけど、やはり打倒すべき米国の首魁はルーズベルトでないと張り合いがありません。
11月10日。

言わば、嫌がらせに失敗したということ。
11月14日:住友重工が「発展型工作機械」を開発。

11月20日:国内でイギリスのスパイを発見して暗殺。
11月20日:国内でドイツのスパイを発見して暗殺。
11月21日。

J・A・プリモ・デ・リベラ・デ・エレディア。舌を噛みそうなほど長い名前の御仁。詳細は不明。
12月6日。

「真・大東亜戦争」にもスパイが登場します。印象に残ったのは、生粋の英国人でありながらIRA(アイルランド共和軍)の活動家であるデヴィッド・ムーア教授と、日本生まれの華僑で日米間二重スパイの周文海(チョウ・ムンハイ)。
ムーア教授は南アフリカにおける反英クーデターを成功に導き、周文海は日本側からリークされた「大和」「武蔵」に関する情報を米国に流すことでルーズベルトに対日参戦を思いとどまらせるという重要な役割を果たします。時代は諜報戦です。
12月8日:第1軍司令部がランチョウに到着。
12月8日:第11歩兵軍団がランチョウに到着。
12月8日:第12歩兵軍団がランチョウに到着。
12月8日:第20歩兵軍団がランチョウに到着。
12月8日:第31歩兵軍団がランチョウに到着。
12月8日:第33歩兵軍団がランチョウに到着。

西北三馬軍閥領との国境(?)の町・蘭州に進出。
12月10日:国内でフランスのスパイを発見して暗殺。
12月11日。

「王冠を捨てた恋」の一件です。
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