大日本国正史

2010年12月25日 (土)

いきなり最終回

今シリーズですが、残念ながら諸事情により中止のやむなきに至りました。

今回は(も?)、レポート掲載にかなり先行してプレイを進めており、アジア・オセアニア地域の解放を成し遂げ、対米戦にも勝利しました。米国とは和平条約を締結して、共存共栄を図りました。一方、欧州戦線ではナチスドイツが破れ、その領土は米国とソ連が分割する形になりました。

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ところが、米国は占領下にあるイギリス・フランス・イタリア・オランダ・ベルギー・ルクセンブルクの独立をいつまで経っても認めようとせず、1947年1月にはあまつさえ日本に対して再度宣戦を布告するなど、その独善・独尊的傾向は救いようのないレベルにまで達してしまいました。

やはり米国は野蛮で暴虐な無法者国家であるとみなさざるを得ません。

しかし、対米戦をもう一度やり抜く気力はもはや残されていませんので、いつものことながら中途半端の謗りを甘受する覚悟で、今シリーズは中止ということにさせていただきます。

世界に真の平和をもたらすためには、わが日本が主導権を取って国際秩序を構築していく必要があるということを痛感いたしましたので、次回シリーズでは速攻で米国を併合して資源と工業力を手に入れ、圧倒的な武力でもって、地球に恒久平和を実現させたいと思います(言ってること、かなりメチャクチャです)。

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2010年12月18日 (土)

第15回 大東亜解放中

1939年9月7日:我が軍の艦隊がバンカ海峡で敵艦隊と交戦。

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激闘4時間ののち…

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9月11日 15:第23歩兵軍団がアロールスターに到着。

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英領マレー制圧です。これを受けて、仏印攻略も開始。

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9月14日 23:我が軍がサイゴンで敵軍と交戦。

陸上と海上の二方向からサイゴンに攻め込みます。

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その結果…

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9月16日。

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9月17日:我が軍の航空部隊がバンカ海峡にて敵艦隊を発見、空爆を開始。

空と海から敵潜水艦部隊を攻撃。

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その結果…

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トライトン級潜水艦とのことです。

ビルマ攻略も開始。

9月20日:第25歩兵軍団がラングーンで上陸を完了。

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9月21日:中島飛行機が「改良型護衛戦闘機」を開発。

9月21日 23:中央インド海盆北部に展開中の我が軍の部隊が、輸送船1隻と護衛艦0隻を撃沈。

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9月23日 1:中央インド海盆北部に展開中の我が軍の部隊が、輸送船2隻と護衛艦0隻を撃沈。

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通商破壊のほうもそれなりに成果をあげています。

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2010年12月11日 (土)

第14回 アジア解放戦争 始まる

1939年4月11日。

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どうもしません。アジア解放戦争を控えたこの時期、シンチアン(新疆)と同盟しても何の得にもならんでしょう。

1939年5月11日:三菱重工業が「基本型中戦車」を開発。

Tec

九七式中戦車チハ。史実では、第二次大戦における日本陸軍の主力中戦車でしたが、ノモンハン事件でソ連軍のBT戦車にコテンパンにやられてしまいました。

1939年6月1日。

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6月28日。

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Hoi2DataWikiより
「1939年夏、世界の注目はヨーロッパで高まっている緊張に集まっていたため、ノモンハン村の周囲で起こった激しい国境紛争について知るものはほとんどいなかった。この紛争で日本軍はソ連軍と衝突したが、300両の戦車や装甲車両を投入した大反攻を受けて敗北した。この大反攻を指揮していたのは、後に対ドイツ戦で名を馳せるジューコフ将軍である」

1939年7月3日:愛知航空機が「改良型戦術爆撃機」を開発。

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百式重爆「呑龍」。九七式重爆から四式重爆「飛龍」へのつなぎですね。

7月8日。

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クロード・A・スワンソン。1927年のジュネーブ海軍軍縮会議と1930年のロンドン海軍軍縮会議に合衆国代表として出席した人物です。

1939年8月2日。

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ドイツにしてみれば「大きなお世話」というより「屈辱」に近い協定でしょうけど、日本側としてはこういう特典があるので…

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つまり、対連合国宣戦への布石です。

8月8日:山本五十六が「間接攻撃ドクトリン」を開発。

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8月24日:川崎重工が「組立実験」を開発。

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同日。

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同日。

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Hoi2DataWikiより
「1939/08/23 ドイツのポーランド侵攻はもはや時間の問題となっていた。しかしポーランドの後背にはソ連がいる。ソ連がポーランド侵攻に反対して連合国側に立てば、東西でフランスとソ連という2大国に直面することになるドイツの立場は途端に危ういものとなってしまうだろう。この状況を回避すべくドイツはソ連と数度の秘密会談を行い、遂に独ソ不可侵条約=モロトフ・リッベントロップ協定の締結に漕ぎつけた。これによりポーランドの命運は決まってしまった。また極東ではこの協定を受け平沼内閣が「欧州情勢は複雑怪奇」との珍声明を出して総辞職した」

8月24日:イギリスで “戦時体制への移行” が発生。
8月24日:フランスで “戦時体制への移行” が発生。

いよいよ欧州の情勢が抜き差しならなくなってきました。

さらに、ドイツ国内に潜入している諜報員からの極秘暗号電により、8月30日にドイツがポーランド侵攻を開始するとの情報を得たことにして、日本もこれに合わせて決起すべく、シンガポール周辺に兵力を展開します。

8月26日:第2艦隊がシンガポール海峡に到着。
8月26日:第1輸送艦隊がシンガポール海峡に到着。
8月26日:第4艦隊がマラッカ海峡南部に到着。
8月27日:第2輸送艦隊がマラッカ海峡南部に到着。
8月27日:第6輸送艦隊がブルネイ湾に到着。
8月27日:第4輸送艦隊がブルネイ湾に到着。
8月27日:第1艦隊がブルネイ湾に到着。

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2010年12月 4日 (土)

第13回 第二次大戦 前夜

1939年1月1日。

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Hoi2DataWikiより
「赤軍は共産主義の栄光を世界中に広めるべく、将来起こる戦争にむけてさらなる準備を整えた。これで全軍の臨戦態勢はまた一段と強化されたのだ!」

対地防御効率が0.2から0.3に上昇。

1月6日。

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“辞任”じゃなくて“解任”されたのは、マクシム・リトヴィノフ外務大臣。この人、ユダヤ系だったので、独ソ不可侵条約締結の障害になるとみなされたようです。

確かめてみると…

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から

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に交代しています。後任のモロトフ外相が、ドイツのリッベントロップ外相と不可侵条約を締結しました。モロトフ=リッベントロップ協定と呼ばれる所以です。

1月7日。

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ヒトラーに対し、軍拡と領土拡張の中止を進言して“解任”された人物。

1月29日:1 工業力が秋田で完成。

南雲中将率いる第3艦隊をクラサオに移動させます。クラサオ基地周辺海域の哨戒が任務なので、当分帰国予定はなし。

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1939年2月3日:東京工廠が「初期型空挺師団」を開発。

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2月3日:中島飛行機が「ターボジェットエンジン」を開発。

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2月6日。

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ミラン・ストジャディノヴィッチなる人物。

きたるべきアジア解放の戦いには満州国軍も動員します。まずは、ソ満国境の警備部隊を除いて全軍プサンに集結。ここで編成を終えたのち、それぞれの戦場に赴くことになります。

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2月9日:1 工業力が大阪で完成。

2月16日。

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2月20日:第3艦隊がクラサオに到着。

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広島(呉軍港)から約20日間の航海でした。

1939年3月12日:畑俊六が「箱型護衛編隊ドクトリン」を開発。

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2010年11月20日 (土)

第12回 暗雲迫る欧州

5月14日。

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ラモン・フランコ・バーモンデなる人物。

5月24日:日産自動車が「改良型暗号作成機」を開発。

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5月30日:中国(国民党)が我が国と外交協定を締結。

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歩兵関連の技術の青写真を提供します。心情的にはいろいろと複雑ですが、現時点ではれっきとした同盟国(属国)なので…。国民党は見返りに何一つよこすことはありませんが、その分しっかりと働いてもらいましょう。

6月6日。

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7月2日。

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頻繁に嫌がらせを仕掛けてきます。ルーズベルトの挑発に乗るのは望ましくありませんが、果たしてどこまで隠忍自重できるか…。

7月4日。

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くどいようですが、講和条約が失効しても戦争状態に戻るわけじゃありません。念のため。

7月20日。

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Hoi2DataWikiより(ソ連側からの紹介)
「極東における日本とソヴィエト連邦の勢力圏争いは時折、実際に砲火を交える武力衝突へと発展する。1938年に日本陸軍がチャサン湖周辺のソ連軍防衛線を強行偵察した際には、数か月にわたって戦闘が続いた。しかしソ連軍の不甲斐ない戦いぶりに、ヴァシリ・ブリュッハーはNKVDに逮捕された後、処刑された」

NKVD=ソ連内務人民委員部。のちのKGBの母体です。怖いですね。

わが国としては「ソ連軍など敵ではない」を選ぶしかないわけですが、その結果はこのとおり。

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勇ましいセリフとは裏腹に、何もいいことがありません。

8月21日:畑俊六が「夜間機銃掃射ドクトリン」を開発。

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8月23日:三菱重工業が「生産計画」を開発。

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9月5日:東京工廠が「基本型自動車化師団」を開発。

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9月22日。

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オスカー・ウェストーヴァーなる人物。陸軍少将だったようですが、それ以上のことは不明。

9月30日。

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Hoi2DataWikiより
「1938/9/29 ドイツはオーストリア併合によって活発になったズデーテンラントでの自治要求活動を大義名分に、チェコスロバキアにズデーテンラントの割譲を要求し、これに応じない場合は軍事力の行使をも辞さないという構えをとった。これを受けて、イタリアの調停で英仏独伊による話し合いの場がもたれた(ミュンヘン会議)。この会議にチェコスロバキアは参加できず、戦火の拡大を恐れた欧州列強によって、ズデーテンラントを割譲する代わりに、これ以上欧州での領土拡大を求めないという、ほぼドイツの希望通りの条約が結ばれた(ミュンヘン協定)」

ズデーテンラントは、チェコスロバキアの北辺を東西に細長く占める地域。つまりドイツとの国境沿いに広がっており、300万人以上のドイツ人が居住していたそうです。

で、ミュンヘン会議の結果、ドイツ側では…

●フランスとの友好度-10
●イギリスとの友好度-10
●チェコスロヴァキアとの友好度-20
●好戦性+1
●介入主義にスライダーが3傾く
●タカ派にスライダーが1傾く

同日。

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Hoi2DataWikiより
「ズデーデン問題に関する和平会議をミュンヘンで主催することにヒトラーは同意した。この会議には英仏伊の首脳(チェンバレン、ダラディエ、ムッソリーニ)が出席し、チェコスロヴァキアからズデーテンラントを切り離し、ドイツの領土とすることを認めた。この会議に代表の出席を認められなかったチェコ政府は同盟国に見捨てられたと悟り、英仏の圧力に負けてドイツにズデーテンラントを割譲する。ヒトラーは会議に出席した各国首脳に、これ以上の領土拡大は望んでいないと確約した。チェンバレンはヒトラーが署名した一枚の紙を手にイギリスへ戻り、“我々の平和は保たれた”と宣言した」

激怒するチャーチルの様子が目に浮かびます。

チェコスロヴァキアの側からすると…

●現在加入している軍事同盟から脱退
●以下の地域をドイツが所有する。ターボル ストラコニツェ ウースチー リベレツ オストラヴァ
●ドイツとの友好度+10
●イギリスとの友好度-10
●フランスとの友好度-10
●独裁的にスライダーが2傾く
●閉鎖社会にスライダーが1傾く
●国民不満度+25

9月30日:イギリスで “戦時体制への移行” が発生。
9月30日:フランスで “戦時体制への移行” が発生。

チャーチルが渋るチェンバレンのケツを叩いて、戦争準備を急いでいるようです。

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2010年11月13日 (土)

第11回 戦間期その3

1938年1月7日:日野自動車が「基本型固定式対空砲」を開発。

Tec

1月18日。

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●政変前

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●政変後

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一気に「民主的」から「独裁的」にシフト。

これは史実での1938年、ドイツへの併合の是非を問う国民投票を前にして、併合拒否の結果が出ることを恐れたヒトラーの圧力に屈し、ミクラス大統領とシュシュニック首相が辞職、アルトゥール・ザイス=インクヴァルトが後を継いだ一件のことでしょう。

1月27日。

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1月29日。

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Hoi2DataWikiより
「1938年、ドイツ国防相のヴェルナー・フォン・ブロンベルク元帥は平民の妻を娶った。当時の将校の結婚としては異例であったが、平民出身のヒトラーはこれを大いに祝福したという。しかし直後に夫人を中傷する文書や写真が出回り始め、これをゲーリングは自身の野心のために利用。併せてヴェルナー・フォン・フリッチュ上級大将の同性愛者容疑をでっちあげ、ヒトラーの二人への信頼を失わせることに成功した。強硬な外交政策に反対していた国防軍のNo.1とNo.2がいなくなったことで、ドイツ国防軍はこの後急速にヒトラーの忠実な手駒へと作り変えられてゆく」

1月30日。

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意味不明のイベント。政権の顔ぶれを確認してみると、外相が

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から

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に交代しているわけですが、それがどういう経緯でどういう意味を持つのかよくわかりません。

1月30日:我が国のスパイがソ連への潜入に成功。我々の計画が相手国に察知されました。これは外交関係に影響を及ぼすでしょう。
1月30日:我が国のスパイがアメリカ合衆国への潜入に成功。
1月30日:我が国のスパイがイギリスへの潜入に成功。我々の計画が相手国に察知されました。これは外交関係に影響を及ぼすでしょう。
1月30日:我が国のスパイがドイツへの潜入に成功。
1月30日:我が国のスパイがキューバへの潜入に成功。
1月30日:我が国のスパイが南アフリカへの潜入に成功。我々の計画が相手国に察知されました。これは外交関係に影響を及ぼすでしょう。

スパイ大作戦です。

2月9日。

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中共から素っ頓狂な提案。延安(この時点での中共の根拠地)周辺で石油など採掘できるのでしょうか。

2月9日:我が国は中国(共産党)から提案された外交協定を拒絶。

2月11日:1 工業力が四国で完成。
2月11日:1 工業力が広島で完成。
2月11日:1 工業力が名古屋で完成。
2月12日:1 工業力が金沢で完成。

工業力(IC)が一気にUP!

2月19日:三菱重工業が「基本型重戦車」を開発。

Tec

四式中戦車チト。重量は30トン。

“重戦車”と言えばドイツのティーガー戦車クラスを思い浮かべますけど、ティーガー戦車の自重が47トン。こんなものを昭和初期の日本で作ったならば、まず鉄道で輸送することができません。線路が狭軌であるからして、輸送能力の限界を超えているからです。では自力走行すればどうかというと、今度は橋梁がネックになります。さらに港までたどり着いたとしても、それだけの重量に耐えられる船積み用クレーンがなく、むりやりして積み込んでも降ろせない…と、こういう悲惨なことになってしまいます。

2月26日。

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2月28日。

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2月30日:国内でソ連のスパイを発見して暗殺。
2月30日:国内でソ連のスパイを発見して暗殺。

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2010年11月 6日 (土)

第10回 戦間期その2

1937年7月10日:三菱造船所が「改良型駆逐艦」を開発。

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秋月型駆逐艦が建造可能に。

秋月型は空母機動部隊の防空直衛を任務とする2700トンの大型駆逐艦。10cm高角砲を連装4基8門備え、航続距離も18ノットで8000海里と長大でした。

7月27日:IJN 赤城 付属部隊が零戦21型 / 99式艦爆 / 97式1号艦攻に改良。

改良型空母建造技術の開発に付随して搭載機もバージョンアップされます。ということで「零戦二一型」登場!

史実では、太平洋戦争全期間を通じて日本海軍の主力戦闘機として活躍した艦上戦闘機です。全長9.06メートル、全幅12.0メートル。総ジェラルミンのスマートな機体で、全備重量わずかに2410キロ。この軽さが2500キロ(増槽使用時は3500キロ)を超える常識はずれの航続距離をもたらしました。

武装も20ミリ機関砲2門および7.7ミリ機銃2丁と、かなり強力です。

8月6日:呉海軍工廠が「超大型戦艦」を開発。

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大和型戦艦の建造が可能に。ただ、このゲームにおいても大艦巨砲主義の時代は既に終わっており、巨費を投じてまで建造する必要はありません。今までのプレイでも大和・武蔵なしで米国を併合できました。でも…今回は建造します。男の浪漫です。

8月13日:IJN 加賀 付属部隊が零戦21型 / 99式艦爆 / 97式1号艦攻に改良。

赤城に続き、加賀の艦載機もバージョンアップ。

8月18日:山下奉文が「初期型病院システム」を開発。

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研究細目の5番目「トリアージ」とは、人材・資源の制約の著しい災害医療において、最善の救命効果を得るために、多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定すること(Wikipediaより)。

8月20日:畑俊六が「機銃掃射ドクトリン」を開発。

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研究細目1番目の「徹甲弾」。野戦砲や艦載砲の砲弾は、ほとんどが榴弾か徹甲弾に大別できます。榴弾は、内部に充填した炸薬で弾殻を破砕することで広範囲に破片を飛び散らせ周囲を破壊する砲弾です。一方、徹甲弾は装甲に穴をあけるために設計された砲弾で、おもに航空機の機関砲・艦砲・戦車砲で用いられます。

難しいことはさておき、これによって戦術爆撃と対艦攻撃の威力が向上するので万々歳です。

8月25日:我が国のスパイがアメリカ合衆国への潜入に成功。我々の計画が相手国に察知されました。これは外交関係に影響を及ぼすでしょう。
8月25日:我が国のスパイがイギリスへの潜入に成功。

米英国内にスパイをガンガン送り込みます。

8月26日、統合参謀総長を交代。

Photo 閑院宮載仁から

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Photo_2 田代皖一郎へ

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田代皖一郎(かんいちろう):穏健で人望の厚い軍人だったようです。残念なことに、盧溝橋事件の直後に天津にて病死。

8月30日:国内でソ連のスパイを発見して暗殺。

仮想敵国にスパイを放つ一方で、日本国内に潜入しているスパイもガンガン摘発します。

9月3日:ノルウェーで “大臣の逝去” が発生。

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ヤコブ・フォン・デル・リッペなる人物。詳細不明。

9月8日:東条英機が「戦場阻止ドクトリン」を開発。

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戦術爆撃と対艦攻撃の威力向上。そして空挺強襲が可能になりました。

9月10日。

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9月14日:三菱重工業が「基本型軽戦車」を開発。

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「95式軽戦車ハ号」ということですが、史実では「九五式軽戦車」は1935年に制式化されているので、戦車に関する技術開発は史実よりも遅れているようです。いけませんね。

それに武装も20mm砲ではなく、37mm砲です。

9月21日。

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エーリヒ・ルーデンドルフ。日本陸軍の思考様式に大きな影響を与えた『国家総力戦』を著したことで有名な軍人です。

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2010年10月30日 (土)

第9回 戦間期その1

年明けて1937(昭和12)年1月4日。

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西北三馬軍閥のファン・チン外相から山西軍閥の総帥・閻錫山を介しての和平提案。

対中戦の目的である「中華民国の属国化(近い将来に統帥権も掌握)」を達成した今、西北三馬とこれ以上戦争を続ける理由はありません。

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1月20日:国内でニュージーランドのスパイを発見して暗殺。
1月20日:国内でドイツのスパイを発見して暗殺。

1月21日:川崎重工が「改良型計算機」を開発。

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1月27日:中島飛行機が「基本型戦闘機」を開発。

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二式単戦は日本陸軍が開発した初の迎撃戦闘機で通称「鐘馗」と呼ばれました。

従来、戦闘機には迎撃と長距離侵攻という二つの任務があるとされ、それぞれの任務に必要な能力は異なっています。迎撃戦闘機は、その名のとおり、侵攻してきた敵爆撃機を迎え撃つための戦闘機であり、長大な航続距離や格闘戦能力は必要としませんが、上昇力と対爆撃機戦用の火力が要求されます。一方の長距離侵攻戦闘機、必要とされる能力は迎撃機の逆ですね。

海軍は全ての能力を併せ持つ万能戦闘機として零戦を開発しましたが、陸軍は長距離侵攻戦闘機と迎撃戦闘機を別個に開発した方が合理的だと考えたのでしょう。

しかし実際のところ、敵爆撃機が護衛戦闘機を随伴せずに侵攻してくる場面というのは今後少なくなっていくでしょうから、いずれ迎撃機にも対戦闘機戦を想定した格闘性能が求められるようになるはずです。

であれば、空戦においては「迎撃機」よりも「戦闘機」を主力とした方が合理的・経済的ということで、今後もせっせと「戦闘機」の研究開発に努めます。

2月11日。

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2月13日:日野自動車が「基本型野砲」を開発。

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2月16日。

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5日前に一人始末したのに、また潜入されてしまいました。岡村情報大臣、防諜体制が甘いんじゃないですか。ていうか、潜入されたことがわかっているのなら、さっさと消してしまえよ。

3月4日:東京工廠が「初期型海兵師団」を開発。

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3月17日。

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いわゆる「第二次エチオピア戦争」。史実より10ヶ月ほど遅い展開です。ナチス・ドイツによるラインラント進駐の際もそうでしたが、これによっていよいよ国際連盟は有名無実化していきます。

3月18日。

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オースティン・チェンバレン。現英国首相の異母兄です。

3月30日、空軍司令官の交代。

Photo 山本五十六から

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Photo_2 畑俊六に

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“電撃戦”というほどのものではないけど、空からの陸戦支援を重視した措置。仏印・ビルマ・インドで英仏の防衛軍を撃破せねばならないため。たとえ対艦攻撃の威力が少々下がっても、英国東洋艦隊ごとき鎧袖一触だという自信(過信?)が根底にあります。

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2010年10月23日 (土)

第8回 対中戦後処理など

さて、日中戦争終結を受けての戦後処理です。重慶で講和会議が開催されたことにしましょう。

中華民国(=国民党)は日本の軍門に降りましたが、その周辺では中国共産党をはじめとして地方軍閥が割拠しています。半独立状態ですね。まあ、史実と似たような状態ですが、それよりも国民党政府の権力基盤は弱いと見るベきでしょう。

そうなると、蒋介石にしてみれば、日本の力を背景に自らの立場を強化するという選択しかないでしょうから、かなり厳しい条件でも呑まざるを得ませんよね。

ということで、日本側の提示した条件

(1)中華民国の属国化
(2)中華民国軍の統帥権の委譲
(3)上海の割譲

ただ、少しは蒋介石の顔も立ててやらねばならないので、

(1)満州は、国際的に承認されていない実情をふまえ、中国が形式的な宗主権を持つ自治領とする
(2)1946年10月1日をめどに中華民国の完全独立を承認する(それまで中華民国が存在していれば)

…といった取決めがなされたことにします。毛沢東なんぞは「欺瞞だ!」とわめき散らしたことでしょう。

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さらに、「真・大東亜戦争」にならって日本は秘密提案を持ちかけます。

(1)香港を武力で奪回する意志があるのなら、日本海軍が支援してもよい。
(2)共産党を撃滅し、モンゴルの共産主義政権を叩く意志があるのなら、軍事顧問の派遣、重砲や爆撃機の供与、二個師団程度の増援、どの条件でも受け入れる。
(3)欧米が大陸各地に有している権益を国民党政府に返還するなら、日本も満州に有している権益を返還してもよい。

蒋介石以下の国民党首脳にとっては相当に刺激的な提案ですが、さすがに食いついてはこなかったことにしましょう。

さて、大陸に展開している日本軍ですが、対軍閥抗争が近いうちに再燃することはあるまいと、あえて楽観的な見通しのもとに兵力の大半を引き揚げることにします。西北三馬軍閥領にほど近い天水(ティエンシュイ)に駐屯している部隊を除いて。

10月18日:中国(国民党)は日本, 満州 と インドネシアの側に立ってシーベイサンマに宣戦を布告。

属国化により、中華民国は日本と軍事同盟を締結したので、必然的にそうなります。昨日の友は今日の敵です。

11月4日。

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Hoi2DataWikiより
「この選挙の一番の争点となったのは、政府の景気回復政策だった。ランドン候補は選挙戦序盤においてニューディール政策の目的を認める立場を取り、攻撃の的を大統領の政治手法に絞った。資本主義経済の原理を無視した大統領のニューディール政策は、自由な企業活動を阻害し、それが政府の非効率な税金の無駄遣いとなって、景気回復を妨げていると有権者に訴え続けた。ランドンがルーズヴェルトのニューディール政策が憲法を無視していると糾弾し、この選挙はアメリカの民主主義制度を守る戦いだと主張するのは、最後の遊説に出てからである。結局、藪から棒にニューディール政策そのものを攻撃したことで、ランドンの主張が不明確になり、逆に有権者の信頼を損ねる結果となった。ルーズヴェルトが取った選挙戦術は対立候補の批判に反論せず、フーヴァー政権下での経済恐慌からアメリカを救ったのは自分であると有権者に訴えた。得票数は次のとおり。ルーズヴェルト(一般投票数:27,751,597票/選挙人投票数:523票)、ランドン(一般投票数:16,679,583票/選挙人投票数:8票)」

ごくまれに、アルフ・M・ランドン(共和党。対独強硬派)やウィリアム・F・レムケ(ユニオン党。ニューディール政策反対派)が選挙に勝利することがあります。敗れたルーズベルトの仏頂面を想像するのも愉快だけど、やはり打倒すべき米国の首魁はルーズベルトでないと張り合いがありません。

11月10日。

Jpn0187

言わば、嫌がらせに失敗したということ。

11月14日:住友重工が「発展型工作機械」を開発。

Tec

11月20日:国内でイギリスのスパイを発見して暗殺。
11月20日:国内でドイツのスパイを発見して暗殺。

11月21日。

Jpn0192

J・A・プリモ・デ・リベラ・デ・エレディア。舌を噛みそうなほど長い名前の御仁。詳細は不明。

12月6日。

Jpn0193

「真・大東亜戦争」にもスパイが登場します。印象に残ったのは、生粋の英国人でありながらIRA(アイルランド共和軍)の活動家であるデヴィッド・ムーア教授と、日本生まれの華僑で日米間二重スパイの周文海(チョウ・ムンハイ)

ムーア教授は南アフリカにおける反英クーデターを成功に導き、周文海は日本側からリークされた「大和」「武蔵」に関する情報を米国に流すことでルーズベルトに対日参戦を思いとどまらせるという重要な役割を果たします。時代は諜報戦です。

12月8日:第1軍司令部がランチョウに到着。
12月8日:第11歩兵軍団がランチョウに到着。
12月8日:第12歩兵軍団がランチョウに到着。
12月8日:第20歩兵軍団がランチョウに到着。
12月8日:第31歩兵軍団がランチョウに到着。
12月8日:第33歩兵軍団がランチョウに到着。

Jpn0629

西北三馬軍閥領との国境(?)の町・蘭州に進出。

12月10日:国内でフランスのスパイを発見して暗殺。

12月11日。

Jpn0197

「王冠を捨てた恋」の一件です。

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2010年10月16日 (土)

第7回 日中戦争終わる

8月21日 1200:我が軍がハンヤンで敵軍と交戦。
8月21日 1300:陸軍中将 藤江が'レンジャー'任務を完了。

Jpn0161

いつものことながらわかりにくい表現だけど、要するに、衝陽(ハンヤン)に向かって進軍中の藤江中将が“レンジャー”特性を獲得したということ。森林地帯での戦闘に特別ボーナスが与えられます。言うまでもないけど、森林地帯で戦ったらお金を貰えるということではありません。

9月1日。

Jpn0162

政変前:

Jpn0543

政変後:

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調べたところ、新たに政府首班に就任したイオアニス・メタクサスって反共主義者とのこと。史実では、1936年8月4日、ギリシャ共産党の24時間ゼネストを阻止するために憲法を停止、独裁制を敷いたそうです。

すると“右翼クーデター”という表現は妥当なんですが、なんで政体が左派にシフトするんでしょうか。不思議なこともあるもんです。

9月3日:第19歩兵軍団がイーチャンに到着。
9月3日:第16歩兵軍団がイーチャンに到着。
9月3日:第18歩兵軍団がイーチャンに到着。

すかさず航空基地を宜昌(イーチャン)に設置し、第一および第二陸上航空軍を配備。

Jpn0551

プレハブ倉庫でも建てるように手軽に航空基地を設置してしまいましたが、ちょっとした滑走路程度なら人力で簡単な地均しをするだけでできてしまうそうです。「真・大東亜戦争」にも、アフリカ・ソマリアのサバンナ地帯に戦闘機用の滑走路を造る話が出てきます。

だからといって、宜昌の周辺に適地があるかとか、戦闘機ならともかく爆撃機が離陸できるほどの延長ともつ滑走路を人力で建設できるか、などは別問題。まあ、ここでは新兵器・ブルドーザーでも使ったことにしましょう。

ちなみに、日本でブルドーザーが最初に使われたのは、1940(昭和15)年頃、国鉄信濃川発電所の工事とのこと。

9月14日、開戦から3ヶ月が経過。

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西安(シーアン)-宜昌(イーチャン)-常徳(チャントー)-邵陽(シャオヤン)を結ぶラインまで進出。南部ではこれから湖南省や貴州省の山岳地帯に分け入っていくので、進撃のペースは低下するでしょうね。

9月14日:東京工廠が「半自動車化騎兵師団」を開発。

Tec

ちなみに、現在陸上自衛隊が使用している迫撃砲も口径120mm。普通科連隊の重迫撃砲中隊および第1空挺団の空挺特科大隊が装備しており、普通科の中では最大の火砲です。

9月25日、国民党政府から和平提案がありました。なかなか魅力的な内容です。

Jpn0164

しかし…今回の対中戦の目的は、国民党中国を属国化して厖大な人的資源を、来るべき対英戦やひょっとすると対米戦において戦力として活用することにあるので、領土の獲得ではなく属国化が必要条件です。

したがって、本提案は残念ながら却下せざるを得ませんね。。

9月29日。

Jpn0165

蒋介石総統、発見。

Jpn0173

南京から退去したあとは、奥地で雲南軍閥との戦闘に従事していたようです。一連の戦いでは輝かしい戦歴を残していますが、日本軍との戦いにおいてその戦歴に傷がつくことになるでしょう。

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