真・大日本国正史

2011年11月 7日 (月)

第10回 豪州併合

1939年10月3日。

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1939年10月4日。

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Hoi2DataWikiより
「ドイツ軍のポーランドにおける侵攻作戦はいわゆる電撃戦ではなく伝統的な殲滅戦理論に基づいて行われた。物量において勝るドイツ軍はほぼ計画通りに作戦を進め、ポーランド軍はルーマニア方面に撤退し体勢を整え直そうとするが、さらにソ連が突然東部より80万の兵を擁して侵攻を開始。この作戦に対し英仏は9月3日ドイツに宣戦布告したが、具体的な軍事行動に出ることはなかった。9月28日にはワルシャワが陥落し、最後のポーランド軍部隊が10月6日降伏すると、ポーランドはモロトフ・リッベントロップ協定の秘密議定書に基づき分割されることとなった」

1939年10月8日:カリフォルニア第10軍団がバンクーバーに到着。
1939年10月8日:カリフォルニア第13軍団がバンクーバーに到着。
1939年10月8日:カリフォルニア第3軍団がバンクーバーに到着。

1939年10月8日。

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1939年 10月 19日 23:我が軍がメルボルンで敵軍と交戦。
1939年 10月 20日 3:我が軍がメルボルンにおいてオーストラリア軍を破った。

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1939年 10月 28日 0:IJN 大和の配置準備完了。

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1939年 10月 30日 0:IJN 武蔵の配置準備完了。

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1939年11月4日:我が軍がダーウィンで敵軍と交戦。

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1939年11月5日:我が軍が香港で敵軍と交戦。

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1939年11月6日:我が軍の艦隊がヴァンディーメン湾で敵艦隊と交戦。

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1939年11月8日:我が軍の艦隊がマラッカ海峡北部で敵艦隊と交戦。

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1939年11月14日。

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台詞は勇ましいけど、実際はなかなか…

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Hoi2DataWikiより
「ソ連は1932年に結ばれた不可侵条約を破棄、フィンランドへの侵攻を開始する。こうして始まった“冬戦争”は1940年3月13日のモスクワ講和条約をもって終結、フィンランドはソヴィエト連邦に南東部を割譲することとなった」

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2011年2月26日 (土)

第9回 アジア解放戦争開始

1939年8月30日。

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予定どおり(?)始まりました第二次世界大戦。この時点でのそれぞれの勢力は

枢軸:ドイツ、スロヴァキア
連合:イギリス、フランス、ポーランド、イラク、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、南アフリカ、ネパール、ブータン、イエメン

イタリアは史実では1940年6月に参戦しています。

1939年8月30日。

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1939年8月30日:我々はオートメドン事件において“これらの書類はきわめて重要だ”と選択した。

その結果…

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さあ、それではこちらも予定どおりまいりましょうか。

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同盟:日本、満州、インドネシア、アメリカ(南部)連合国、カリフォルニア
連合:イギリス、フランス、ポーランド、イラク、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、南アフリカ、ネパール、ブータン、イエメン

“同盟”は特に深い意味なし。ここでは“枢軸”という言葉は使えないので、いろいろ代用語を検討しましたが、どうにも思い至らなかったので…。

1939年8月30日:我が軍がカムループスで敵軍と交戦。
1939年8月30日:我が軍がシャーブルックで敵軍と交戦。
1939年8月30日:我が軍がセントジョンで敵軍と交戦。
1939年8月30日:我が軍がウィニペグで敵軍と交戦。
1939年8月30日:我が軍がブランドンで敵軍と交戦。
1939年8月30日:我が軍がレジャイナで敵軍と交戦。
1939年8月30日:我が軍がウィンザーで敵軍と交戦。

開戦と同時に、日本領北アメリカとカナダとの国境で激しい戦闘が始まりました。

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もちろんアジアでも火の手が上がっています。

1939年9月4日:我が軍の艦隊がマラッカ海峡南部で敵艦隊と交戦。

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ロイヤル・ネイビーと激突…勝ちました。

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1939年9月4日。

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1939年9月7日。

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同日。

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1939年9月9日。

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Hoi2DataWikiより
「1940/02/16同日、ドイツの補給船アルトマルク号は本土へと帰還する途上、ノルウェーの中立海域でノルウェー海軍の制止を振り切った英国艦隊に襲われ、収容していたイギリス軍捕虜を奪還された。ヒトラーはイギリスのスカンジナビアに対する強硬姿勢を認識し、これを連合国の対独前線基地とされる前にドイツの支配下に置くべく、OKWに特別作業班を設置し検討を開始した」

1939年9月9日。

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Hoi2DataWikiより
「イギリスとドイツの軍艦がノルウェーの中立を侵害し続けている。最近ではドイツ軍艦“アルトマルク”がイギリス海軍の任務部隊に追跡されたあげく、イギリス兵の強行乗船を受けるという腹立たしい事件も起きている。しかし強大なイギリス海軍が相手では、我が国の海軍部隊にそれを阻止する力はない。こうした事件が多発している状況では、中立を維持できなくなるのも時間の問題だ」

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2011年2月19日 (土)

第8回 大戦勃発前夜

1939年1月1日。

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1939年1月3日。

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1939年1月6日。

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1939年1月7日。

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このあたりのイベント、Hoi2DataWikiにも説明がなくなっているので、詳細がよくわかりません。

1939年1月19日。

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1939年1月20日、そのチベットから同盟提案。

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心苦しいけど、お断り。

1939年1月25日。

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無駄でしょうけど、がんばってくださいね。

1939年3月15日。

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Hoi2DataWikiより
「ズデーテンラントを併合したヒトラーは、次にティソが率いる小さなスロヴァキア愛国組織を使い、半ば強制的にスロヴァキアの独立を宣言させた。これと時を同じくしてドイツ軍部隊がスロヴァキア人の“保護”を名目に国境を越えてチェコスロヴァキア領内への進駐を開始する。そして間髪を入れず、ヒトラーはチェコの大統領に向け、現在の“チェコ問題”について話し合うためにドイツへ来るように要請した。だが、その目的はチェコ大統領を孤立させて脅迫し、屈服させることであった。ヒトラーの策は成功した。数日後にはドイツ軍が旧チェコスロヴァキア全土を掌握した」

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1939年3月15日:イギリスで “戦時体制への移行” が発生。
1939年3月15日:フランスで “戦時体制への移行” が発生。

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Hoi2DataWikiより
「かつて独立国家だったスロヴァキアが事実上ドイツの属国となる。しかもイギリス、フランス、ソ連を含む25か国がこの国を承認した。スロヴァキア政府の新首相に就任したカトリック聖職者のヨゼフ・ティソはベルリンの厳重な監視のもと、ドイツの保守独裁主義政策に従った」

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1939年3月24日。

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Hoi2DataWikiより
「メーメルは元プロイセン公国領でありドイツ系の住民が大多数を占めていた。第一次世界大戦後は戦勝国フランスの統治領となっていたが、1923年リトアニア系の住民により制圧、のちリトアニア人による自治領となった。成立の経緯からメーメルは独自の自治政府を持つ特殊な領土となった。1938年メーメルにおいてナチ党が第一党となりドイツへの帰属を求める声が高まると。リトアニアは内圧と外圧に押され、メーメルをドイツに明け渡すこととなる」

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Hoi2DataWikiより
「1939年3月22日、リトアニア政府は凄まじいドイツ系住民の圧力と攻撃準備を進めるドイツ軍の脅威に屈し、メーメル(現クライペダ)を割譲することでドイツと合意し、不可侵条約に署名した」

1939年3月26日。

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Hoi2DataWikiより
「1939年3月25日、イタリアはアルバニアの首都ティラナに、イタリアによる占領を受け入れろという内容の最後通牒を突きつけた。さらにその裏ではアルバニアのゾグ国王がイタリアによるアルバニアの完全占領ならびに植民地化に反対しないよう、賄賂で買収しようとした。だが国王がこの提案を拒絶すると、ムッソリーニは1939年4月7日にアルバニアへの侵略を開始する。ドゥラスなど一部の地域でアルバニア軍による頑強な抵抗が見られたものの、アルバ二ア全土は瞬く間にイタリア軍の手に落ちた。イタリアの操り人形になることを嫌ったゾグ国王は、ゲラルディナ・アポニ王妃や幼いスカンガル王子とともにギリシャに逃れ、最終的にロンドンに亡命した。4月12日にアルバニア議会は同国のイタリアへの併合を可決し、イタリア国王ヴィットリオ・エマヌエーレ3世をアルバニアの新たな王とする。これに続いてイタリアはシェフクト・ヴェルラチを首班とするファシスト政権を擁立し、まもなくアルバニア全軍と外交団をイタリア軍および政府に吸収した」

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2011年2月12日 (土)

第7回 国民党躍進

前回をもって対米戦争は終結したわけですが、大方の予想というより必然的結末をひっくり返して、日本が勝利。米国の戦時態勢が整わないうちに、東海岸に兵力を集中させて一気にメガロポリスを制圧するという乾坤一擲の作戦によって、奇跡的な勝利をもぎ取りました。

これには、世界各国の指導者たちも顔色を失ったことでしょう。

「そんな馬鹿なことが…」「あり得ぬ」

…という声が聞こえてきそうです。特に、日米戦の帰趨が自国の国益を大きく左右するチャーチル(英国)とか蒋介石(中国)などは、対日戦略を根本的に転換しなければならなくなったはず。

蒋介石ですが、日米戦が始まった段階では、日本敗北という前提のもとに戦略を抗日に大きくシフトしていましたが、日本が負けるどころかその国力を飛躍的に増強した今となっては、抗日のスローガンを引っ込めて国内統一に注力するしかなくなりました。統一がなったあかつきには、満州にちょっかいを出してくることが予想されますが、まだ時間はあるでしょう。

ヒトラーにしても、連合国の兵器廠が消滅したとなれば、いよいよ欧州での傍若無人なふるまいをエスカレートさせると思われますが、再び欧州で戦火が燃え上がるまでには2年ほどの猶予があるので、しばらくの間、わが日本は国力と戦力の醸成に努めます。来るべきアジア解放戦争の準備です。

1937年7月1日。

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1937年7月3日。

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束になってフィリピンにケンカを売る中国の軍閥ども。何をどうしたいのか、よくわかりませんが…。で、進退きわまったフィリピンから…

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そうですね。無意味なにらみ合いはやめましょう。

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1937年8月3日。

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1937年8月17日。

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これを待っていました。もちろん承諾です。

1937年9月8日。

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広西軍閥を併呑してますます意気軒高の国民党。いよいよ共産党にその鉾先を向けました。ここでは、おそらく史実と逆の結果になることでしょう。

1938年1月12日。

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Hoi2DataWikiより
「1938年、ドイツ国防相のヴェルナー・フォン・ブロンベルク元帥は平民の妻を娶った。当時の将校の結婚としては異例であったが、平民出身のヒトラーはこれを大いに祝福したという。しかし直後に夫人を中傷する文書や写真が出回り始め、これをゲーリングは自身の野心のために利用。併せてヴェルナー・フォン・フリッチュ上級大将の同性愛者容疑をでっちあげ、ヒトラーの二人への信頼を失わせることに成功した。強硬な外交政策に反対していた国防軍のNo.1とNo.2がいなくなったことで、ドイツ国防軍はこの後急速にヒトラーの忠実な手駒へと作り変えられてゆく」

1938年1月18日。

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国民党との戦争で多忙になった共産党。もはやフィリピンと揉めている場合じゃなくなったということでしょう。

1938年1月20日:IJN 赤城 付属部隊が零戦21型 / 99式艦爆 / 97式1号艦攻に改良。
1938年1月20日:IJN 加賀 付属部隊が零戦21型 / 99式艦爆 / 97式1号艦攻に改良。
1938年1月20日:IJN 蒼龍 付属部隊が零戦21型 / 99式艦爆 / 97式1号艦攻に改良。

究極の艦上戦闘機・零戦21型が実戦配備されました。

1938年1月23日。

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オーストリアも政情が不安定なようです。

1938年1月30日。

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何のことかよくわかりません。

1938年2月1日。

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2011年2月 5日 (土)

第6回 対米戦終結

1937年1月30日、開戦から6ヶ月後の戦況。

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1937年2月7日:我が軍がトゥーソンで敵軍と交戦。
1937年2月8日:我が軍がトゥーソンにおいてアメリカ合衆国軍を破った。

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1937年2月13日。

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1937年2月26日、ドイツから防共協定の提案。

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むろん、ちょび髭の元伍長さんは乗り気ですが…

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ドゥーチェ(頭領=ムッソリーニ)は…

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当然、わが国も拒絶。コケにされたヒトラー総統、さぞやご立腹でしょう。

再三再四にわたるルーズベルトからの和平提案。

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今回も辞退(却下)します。

1937年2月30日、開戦から7ヶ月後の戦況。

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1937年3月27日:帝国陸軍第18軍団がジュノーで上陸を完了。
1937年3月27日:帝国陸軍第1軍団がジュノーで上陸を完了。

アラスカに上陸。一路、アンカレッジを目指します。

1937年3月30日、開戦から8ヶ月後の戦況。

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1937年4月21日、太平洋で米海軍の残存部隊を捕捉。

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さらに、1937年4月28日…

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1937年4月30日、開戦から9ヶ月後の戦況。

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1937年5月3日。

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北に向かって遁走する米艦隊を追って、はるばるアリューシャンまでやってきました。

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2011年1月29日 (土)

第5回 激闘!対米戦

1936年10月23日。

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今や流浪の逃亡者となり果てたルーズベルトからの和平提案。0.5秒で却下。

1936年10月30日。対米戦3ヶ月の状況。

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大西洋での海軍の仕事はどうやら終わりを告げたようなので、太平洋に戻って島嶼部の確保を始めます。

1936年11月4日。

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普通、戦局悪化の責任をとって辞めるか、国民が「No!」を突きつけるのでは。理解を超越した国民性です。

1936年11月11日。ミシガン州・フリントにマッカーサー現る。

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現時点では中将のようです。この世界では大将に昇進することはないでしょうし(もうじき米陸軍は消滅の予定)、彼には余計な権力など与えないほうが世のため人のためです。

ところで、このフリントからウィスコンシン州・マーケットにかけての戦いが、米本土でのほとんど唯一といっていい激戦になりました。敵の小部隊を意図的に突出させた後、各個撃破する戦法で、なんとか突破です。

1936年11月30日。対米戦4ヶ月の状況。

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1936年12月3日。シンチアン(新疆)からの同盟提案です。

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今、中国国民党と事を構える気はないので、却下。

1936年12月11日。

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1936年12月13日。

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1936年12月20日。

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ただし、当然…

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歩兵と資源と技術の青写真をふんだんに提供してくれる、頼もしい同盟国の誕生です。

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2011年1月22日 (土)

第4回 対米戦開始

それでは、計画どおり始めましょう。

1936年8月1日。

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戦争目的は「工業力(IC)の確保」「超大国誕生の阻止」。まずは、パナマ運河の奪取とマイアミ上陸です。

1936年8月1日:我が軍がコロンで敵軍と交戦。

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1936年8月1日:我が軍の航空部隊がマイゼル諸島にて敵艦隊を発見、空爆を開始。
1936年8月1日:我が軍の艦隊がマイゼル諸島で敵艦隊と交戦。
1936年8月1日:我が軍の艦隊がフロリダ海峡で敵艦隊と交戦。
1936年8月2日:我が軍の航空部隊がマヤグアナ海峡にて敵艦隊を発見、空爆を開始。

熾烈な海空戦が始まりました。

1936年8月2日:我が軍がコロンにおいてアメリカ合衆国軍を破った。

1936年8月2日:我が軍の艦隊がフロリダ海峡で敵艦隊と交戦。

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すでにマイアミへの上陸作戦、成功しています。

1936年8月4日:我が軍が敵アメリカ合衆国軍艦隊の攻撃をマイゼル諸島にて受ける。

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ニューオーリンズ。基準排水量9,950トンの条約型重巡洋艦です。

しかし、犠牲も…

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1936年8月7日。

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史実では、日本軍による真珠湾攻撃で沈められた戦艦です。どのみち、日本軍の手によって沈められる運命にあったようです。

1936年8月10日。

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大戦果! 初めて米海軍の空母を仕留めました。

1936年8月13日。

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1936年8月30日。対米開戦から1ヶ月の状況。

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海での戦いは、ほぼワンサイドゲームといってよい経過です。

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2011年1月15日 (土)

第3回 対米戦準備

さて、前回では蘭印戦争に勝利した日本が、カリブ海に浮かぶ(ベネズエラ・バレンシアの沖合約200キロ)旧蘭領クラサオ島の獲得に成功しました。

これは米国にとっては、キューバ危機と同様に喉もとに刃をつきつけられたような状態ですから、日本に対して何がしかの圧力をかけてくることが予想されます。しかし、クラサオ領有は日蘭間での問題であるからして、外野(米国=ルーズベルト)にあれこれ指図される筋合いのものではありませんよね。米国の出方によっては、名目上の領有権をはオランダに返還することはありですが、軍事基地は整備します。

すでに日米間の貿易協定はすべて破棄されており、石油禁輸のイベントは発生していないものの、実質的に米国からの資源の輸入は全面的にストップしています。まあ、それを見越して蘭印の資源地帯を奪取したのですから、別にどうということはありません。

1936年4月13日。

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大陸は大荒れ模様です。

1936年4月22日:川崎重工が「機械化農業」を開発。

1936年4月27日:第21歩兵軍団がクラサオで上陸を完了。

クラサオへの第一陣です。その他の部隊は、日本の委任統治領であるマーシャル諸島クワジャリンに集結中。

1936年5月2日:三井重工が「基本型工作機械」を開発。

1936年6月1日:愛知航空機が「基本型輸送機」を開発。

1936年6月8日。

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クラサオにおける基地の建設が完了しました。陸海空軍の主力を移動させます。

1936年6月20日:スウェーデンで“夏政府”が発生。

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Hoi2DataWikiより
「1936年、スウェーデン農民中道党「ボンダーフォーブンデット」が夏の間、単独でスウェーデンを統治することになった。これは農民中道党が強力に支援した社会民主党からの政治的見返りであり、今後も協力関係を継続すれば、政治的に優位に立てることを約束するものでもあった」

1936年7月4日:仁科芳雄が「原爆開発研究所」を開発。

1936年7月18日。

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Hoi2DataWikiより
「1936年初頭、社会党が選挙で勝利をおさめると、大衆は社会的平等を求め始め、それが宗教界、大地主、王党派を敵とする革命的な運動に発展する。群衆は教会を襲い、農場を共通化しだしたのだ。労働組合はストライキを決行し、無政府主義者は“人民の敵”を暗殺した。社会党を首班とする新政府に社会秩序を回復する力はなかった。そうした中、スペイン軍部は社会主義革命を鎮圧して秩序を回復しようと、保守派やカトリック教会と手を結び、自らを“国粋派”と称して蜂起した。軍部の反乱に直面した政府は“共和国派”を名乗り、革命勢力と統一戦線を結成して反乱軍に対抗する姿勢を打ち出す。かくしてスペイン内戦が勃発したのである! ドイツ、イタリア、ソ連などの数多くの国がこの内戦に武力介入した」

1936年7月21日。

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1936年7月22日。

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ホセ・サンフルホ将軍は、治安警備隊司令官で国粋派の重鎮です。フランコ将軍のライバルで、首班に予定されるほどの実力者でしたが、どうやら飛行機事故(?)で死亡した模様です。

1936年7月23日。

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1936年7月24日。

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1936年7月25日:中島飛行機が「ロケット試験研究施設」を開発。

1936年7月25日。

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1936年7月25日:イタリアはスペイン内戦 ― 介入において“装備と義勇兵を送る”を選択したとのことです。

スペイン内戦に対する主要各国の対応、ほぼ史実どおりです。

欧州の動きを横目で見ながら、次回はいよいよ対米戦に突入します。

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2011年1月 8日 (土)

第2回 蘭印戦争

1936年2月26日。2・26事件のどさくさに紛れて…

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宣戦布告から時を経ずして、セレベス(スラウェシ)島のメナドに無血上陸。

1936年2月28日:第1工兵軍団がメナドで上陸を完了。
1936年2月28日:第1軍司令部がメナドで上陸を完了。

1936年3月1日:アメリカ合衆国は戦時体制への移行において“戦争の準備をしよう”を選択したとのことです。

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Hoi2DataWiki
「ヨーロッパの紛争にはできるだけ関与しないというモンロー主義を取っていた米国であったが、ヒトラーのポーランド侵攻開始後、中立法を修正し、武器・弾薬の禁輸を撤廃した」

…とありますが、まだドイツによるポーランド侵攻は始まっていません。ただ、日本がオランダと戦争状態になると、このイベントが発生するようです。また、日米間の貿易協定も開戦後にすべて解消されてしまいました。

1936年3月6日:我が軍の艦隊がマドゥラ海峡で敵艦隊と交戦。

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【日本】
戦艦「長門」「陸奥」「伊勢」「日向」
軽巡「夕張」「川内」「神通」「那珂」

【オランダ】
軽巡「ジャワ」
1個輸送艦隊

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輸送艦隊だけの被害で済んだのは、オランダにとってはラッキーでしょう。

1936年3月7日。

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Hoi2DataWikiより
「1936年12月12日、蒋介石大元帥は、彼に反旗を翻した張学良将軍に拉致された。張将軍は蒋介石に対して、共産党を含めた抗日統一戦線の結成を求めた。数週間にわたって交渉が続けられ、蒋介石は数多くの要求を実行すると約束したが、共産党との全面的な同盟にだけは拒んだ。その後、張学良を拘束すると戦争が終わるまで幽閉した」

共産党を含む各軍閥との友好度は上昇しますが、これは蒋介石の言葉どおり「口約束」です。3週間後に事実をもって証明されます。

同日。

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Hoi2DataWikiより
「政敵を退け、ドイツに独裁体制を確立したヒトラーは、次に外交へと目を転じ、4つの大胆な賭けに出た(しかもその賭けは次第に危険度を増していった)。1つは1935年3月16日の、ヴェルサイユ条約に反する徴兵制度の復活である(同条約ではドイツ軍の兵力は100,000人を超えてはならないとされていた)。この違反に対してイギリスやフランスが公式の抗議以外に何もしないとわかると、その1年後(1936年3月7日)に、非武装化されたラインラントに軍を進駐させた。こうしてまたひとつ、ヴェルサイユ条約の条項が破られることになった」

1936年3月7日:イギリスで“戦時体制への移行”が発生。
1936年3月7日:フランスで“戦時体制への移行”が発生。

1936年3月9日:我が軍がセマラングで敵軍と交戦。

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【日本】
第1騎兵軍団、第2騎兵軍団、第3騎兵軍団、第16歩兵軍団

【オランダ】
第5軍団

1936年3月10日。

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「Semarang」と書いて「スマラン」と読むのが正しいようです。2003年時点の人口は139万人。

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2011年1月 1日 (土)

第1回 真・大日本国正史

中止のやむなきに至った「大日本国正史」シリーズですが、前回の記事で予告したとおり「速攻で米国を併合して資源と工業力を手に入れ、圧倒的な武力でもって地球に恒久平和を実現」するべく、「真・大日本国正史」として連載を開始します。

ただ、記事作成に際して、従来のやり方では従来どおり途中で挫折してしまう可能性が高いので、今シリーズでは、メインストーリーに直接かかわりのない技術開発や諸外国の動向などは大胆にカットして、実際のプレイと記事掲載とのタイムラグをできるだけ少なくする方向で進めていきたいと思います。

シナリオは1936年1月1日スタート。

2・26事件に合わせてオランダに宣戦するため、満州に展開する陸軍部隊を内地に帰還させ、再編成を行います。多少、ソ連の動向が気になりますが、経験則から言って、この時期に極東有事はないでしょう。

対蘭戦争の目的は、南方資源の確保とカリブ海に浮かぶクラサオ(キュラソー)島の獲得です。

海軍は次のように再編成します。

第1艦隊
空母「赤城」「加賀」「蒼龍」
重巡「高雄」「愛宕」「鳥海」
軽巡「最上」「三隈」「北上」「木曾」「長良」「大井」

第2艦隊
戦艦「長門」「陸奥」「伊勢」「日向」
軽巡「夕張」「川内」「神通」「那珂」

第3艦隊
戦艦「扶桑」「山城」
軽巡「球磨」「多摩」

第4艦隊
巡戦「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」
軽巡「名取」「鬼怒」「由良」「五十鈴」

第5艦隊
重巡「妙高」「足柄」「那智」「羽黒」「摩耶」

第6艦隊
重巡「加古」「青葉」「衣笠」「古鷹」
軽巡「阿武隈」

第7艦隊
軽空「瑞鳳」
重巡「浅間」「出雲」
軽巡「龍田」「平戸」「矢矧」「天龍」

第1~第6艦隊は蘭印攻略支援に従事し、旧式艦の寄せ集めである第7艦隊は日本近海の哨戒にあたります。

当面、生産を急ぐのは…

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対蘭戦は現有兵力で十分に事足りるので、これは対米戦をにらんだ措置。1936年時点では米陸軍は10個師団にも満たない兵力ですが、何と言ってもあの広い国土を制圧するには、こちらも数を揃えておかねばなりません。

あと、クラサオ島を拠点とするための「基地」や、太平洋を越える長大シーレーンを維持するための輸送船も。

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